MSRの歴史
PRECISION ENGINEERING INSPIRED BY UNRULY DREAMERS
時代を超えて愛されるギアを守り続けるために
MSRの創業者であるラリー・ペンバーシーは、技術志向のエンジニアというだけでなく、熱烈なアウトドアマンでもありました。彼は、アウトドアに敬意を払うことが、貴重な自然を保護する最善の方法のひとつであることを知っていました。それは、道具をできるだけ長く使えるようにすることであり、道具を買い替えるために余分な資源を使う必要がないようにすることでした。その思いは、今日も受け継がれています。
ものづくりと社会的責任
MSRは、アウトドア製品を製造し、使用する世界にますます前向きな足跡を残すよう努力しています。「製造と社会的責任に関する報告書」では、これまでの責任ある行動と将来への道筋を概説しています。私たちは、より良い素材、より安全な化学物質、よりスマートなパッケージングを通じて、製品、サプライヤー、事業が社会と環境に与える影響を最小限に抑えるよう取り組んでいます。
MSRは、300以上のアウトドアブランド、サプライヤー、メーカーが参加し、最も重要なサステナビリティの課題に取り組む連合体であるOutdoor Industry Association Sustainability Working Groupの創立メンバーです。このグループは、業界初の持続可能性測定ツールであるHigg Indexを立ち上げました。MSRは、材料のトレーサビリティ、化学物質管理、社会的責任、その他のコアコンピテンシーにおける私たちの実践を検証するために、Higg Indexを自主的に使用する最初のハードグッドブランドのひとつです。
MSR|創業からの歴史
1969年
好奇心の源泉:ラリー・ペンバシーによる活動
1969年、シアトルに活動の拠点を置いていた登山家のラリー・ペンバシーは、人々の「山での安全」に対する意識の向上を図ろうと「Mountain Safety Research(MSR)」を設立しました。
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MSRニュースレターの創刊
登山用具のテスト評価にかかる費用を捻出するため、ペンバシーは市場に出ている優良な登山製品を ニュースレターで紹介し、自らも販売することにしました。
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オートビレイデバイス
MSRのオートビレイデバイスには、クライマーが墜落した際に予めローディングされている1.8mのたるみ部分が繰り出し、ショックを和らげるビレイシステムへのショック吸収システムが備わっていました。
初期に販売されていた製品
ペンバシー自身の登山の趣味もあり、MSRニュースレターに初めて登場した製品はMSRの初代スノーアンカーと、エドモントの寒冷地用グローブでした。
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最初のスノーフルーク
MSRから革新的なスノーフルークが発売されると、MSRは「山の基準」に革命をもたらし始めました。
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より安全なクライミングロープ
1969年、MSRは10.5mmのダブルブレイドのクライミングロープを発売しました。
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スピーディーアイススクリュー
MSRの初代アイススクリューには約1,360kgの耐荷重がありました。
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1970年
アイゼンの「コンクリートフィート」防止
MSRはアイゼンに滑らかなPVCプレートを組み合わせることで、足元の雪がダンゴ状態で固まってしまう、危険な「コンクリートフィート」の防止を実現させました。
レスキュー用プーリー
MSRは山での安全という観点からレスキュー関連の分野にも意欲的で、ナイロンとノンロッキングシーブを用いて、従来のロッキングカラビナをプレーンベアリングプーリーに変えたレスキュー用プーリーを発売しました。
高強度のイーグルピッケル
ペンバシーが行ったテストにより、木柄のピッケルには体を支えるだけの十分な強度がないことが分かりました。
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ラペリング用ブレーキバー
MSRはラペリング用具の軽量ブレーキバーを設計しました。
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クリーンクライミング用ワイヤー付チョック
登攀スタイルがクリーンクライミングへ移るのと足並みを揃えるかたちで、MSRは1970年代前半にワイヤー付チョックを発表しました。
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初期のスノーピケット
MSR初期のスノーピケットは高張力のアルミ製で下部に抜けにくいねじ山があり、簡単に抜き差しができるスチールヘッドが特徴でした。また、登山者を事故から守り続けた初期モデルから現在のMSRスノーピケットへと発展しています。
シアトルのショールーム
1970年代初頭、ペンバシーはシアトル市内に店舗販売を兼ねたショールームをオープンしました。
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1971年
ピッケルの安全基準
木製シャフトの小型ピッケルが一般的だった1970年代初頭、MSRのテストにより木製のシャフトには確実に滑落を防止するための十分な強度がないことが明らかになりました。
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ウィックワイアとボルトンの遠征
ジム・ウィックワイアとエド・ボルトンはレーニア山(4,392m)のウィリス壁センターリブへの2度目の登攀へ挑んでいたところ、45°に傾斜した氷の壁に直面しました。
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1972年
サンダーバードアイスピッケル
MSRの第二世代アイスピッケル、サンダーバードアイスピッケルは、クロムモリブデン鋼のヘッド部分に鋭いピックを付けたデザインが特徴的で、航空機品質のジュラルミン製シャフトが初めて採用されました。
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リモート燃料革命
広範囲に及ぶフィールドテストにより、特に冬山などでの過酷な条件下では、ストーブの燃料供給方法が安全とパフォーマンスに大きな影響を及ぼすことが明らかになりました。
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1973年
モデル9ストーブの登場
脱水症状が急性高山病を引き起こす原因の一つであることから、MSRはより早く雪を溶かして飲料水を作ることができるストーブを設計し始めました。
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アンダーアームジッパー付パーカー
1970年代半ば、MSRは断熱材を使用したジャケット、MSRパーカーなどテクニカルなソフトグッズも手掛けていました。
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ストーブの効率性の強化
登山者は大量の雪を溶かさなければならないことから、MSRではストーブの効率性を上げる方法を考えるようになりました。
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MSR山岳用テント
MSRのダブルウォール構造のトンネル型山岳用テントは、瞬く間にバックカントリーでのアイコンとなりました。
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登山用ヘルメット
1970年代半ば、MSRは当時市場に流通していた登山用ヘルメットのテスト評価を行い、強度や滑落時のヘルメットの装着状態に大きな改善の余地があることに着目しました。
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登山者が認めたストーブ
1973年、スキップ ・エドモンド他3名は、MSR最初のストーブのプロトタイプをアラスカ州ハバード山(4,493m)の南西側の尾根でテストしました。
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1974年
高性能なバックカントリー用ヘッドライト
1970年代初頭、MSRは高性能なライティングシステムを開発しました。
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レーニア山への入山規制
1970年代半ば、アメリカ合衆国国立公園局(National Park Service:NPS)はレーニア山国立公園へのビジターの入園規制の実施(大部分の区画へのアクセスを規制)を検討していました。
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パネルローディングパック
MSRのアルミフレーム式バックパックは背中部分のフレームを幾重ものコードで結んだ構造でした。
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ニーズに合わせた登山用ロープ
ロッククライマーが激しい使用に耐える強靭なロープを必要とする一方で、普通の登山者は短い距離をラッペルするロープを必要としている点に着目したMSRは、10mmのトレッキング・ロープや、テクニカルな要求を満たす11mmのロープなど、様々な直径や長さ、強度を持つダブルブレイドのロープの生産を開始しました。
ロックリンクカラビナ
安全性の向上と、ロープとハーネスを収納しやすくするため、MSRの ロックリンクカラビナ(耐荷重:約2,270kg)にはネジ付きナットが採用されました。
急性高山病の教え
数えきれないほどレーニア山に登っていたペンバシーは、同じ標高であっても体調が良い日とそうでない日があることに気がつきました。
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サイクリングヘルメット
1974年、MSRは自転車愛好家のためのサイクリングヘルメットを世に送り出し、自転車の安全性へ大きな貢献を果たしました。
1975年
チューブラーアイススクリュー
MSRの第二世代アイススクリューにはアルミではなくクロムモリブデン鋼が採用されました。
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モデル9ストーブシリーズ
モデル9ストーブの成功を基に、MSRはいくつもの次世代バーナーを世に送り出しました。
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リチウムバッテリー
MSRのエバーレディー、ワンダーヘッドランプは山での使用に適していましたが、使用しているアルカリ電池ではヘッドライトの性能を存分に発揮することができませんでした。
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PHレベルと急性高山病
ペンバシーは登山者に登山中の尿のpHレベルのモニター協力を依頼しました。
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1976年
業界初のピットジップ
断熱保温材を使用したMSRパーカーは、両腕下部と両脇にジッパーを取り付けるという画期的なものでした。
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1977年
ゴアテックスギア
1977年3月、MSRはゴアテックスを使ったジャケット、レインギア、山岳用テントの販売を開始しました。
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1978年
モデルGKの発売
登山家達はモデル9DFのマルチフューエルの利便性に引きつけられました。
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レーニア山に関する訴訟の和解
ペンバシーとレーニア山登山者救済基金はアメリカ合衆国国立公園局に対し、レーニア山国立公園に関する規制を取り下げさせることに成功しました。
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アイスホーククライミングツール
MSRのアイスホークツールは、短いシャフトに取り付けられた非常に鋭いピック、機能的なグリップ、そして下側に広がるように下がっているあぶみが特徴的でした。
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1979年
MSRストーブの初登攀
1979年、ジョン・ロスケリー、ビル・フォレストを含む計4名のオールスターチームは、パキスタンのウリビアホータワーの登攀にMSRのストーブを携帯しました。
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1980年
ヘルメットの無償交換
MSRは事故や転倒などに巻き込まれたすべてのヘルメットを無償交換することにしました。
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1981年
REIがMSRを買収
1981年、シアトルに拠点を置くアウトドア企業のREIがMSRを買収しました。買収により、MSRはペンバシーによる個人所有の時代を終えることになりましたが、MSRのデザイン、生産施設はそのまま維持され、革新性と優れたエンジニアリングによる開発力、安全基準を改善するために深く関与する姿勢、山こそが全ての中心という社風はそのまま受け継がれました。
MSRの燃料ボトル
より安全な燃料ボトルが必要と感じたMSRでは、1981年、燃料ボトルの設計に着手しました。
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4節のプローブ
MSRのプローブは雪崩で埋もれた登山者を素早く見つけ助け出せるよう設計されました。
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1982年
ウィスパーライトストーブの登場
ホワイトガソリン専用のウィスパーライトストーブは、大好評でベストセラーになりました。
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1983年
調理に強いファイヤーフライ
1983年、MSRは効率的にホワイトガソリンを燃やし火力を微妙にコントロールすることのできる、ファスト&ライトのファイヤーフライを発表しました。
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1985年
南極遠征
ロバート・スワン、ロジャー・ミアー率いるイギリスとカナダの合同チームは、1985年、南極大陸に向け出航し、約1,450kmの陸路を進み続け南極点に到着しました。
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MSRヘルメットでの初登攀
1985年、エリック・ブラント他3名はバフィン島のトール山(約1,675m)西壁を直登ルートで進み続けていました。
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1986年
ヒートエクスチェンジャー付クックセット
MSRより新しく発売されたXPDクックセットには、1.5Lと2Lのスタッキングポットに、共通の蓋と、熱を逃がさず温度効率を高めるヒートエクスチェンジャーが付属していました。
1987年
コヨーテスノーピケット
1987年、MSRは全く新しい、クラシックスタイルのコヨーテスノーピケットを発売しました。
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アルパインクックセット
MSRは人気のXPDクックセットをシンプルにしたアルパインクックセットの販売を開始しました。
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1988年
ブタンガスアダプターバルブ
寒冷地や標高の高い場所でストーブを使用する場合、液体燃料をポンピングしてガス化する方法もよく機能する一方、ブタンガスカートリッジの方が使いやすいことは事実です。
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ウィスパーライトはインターナショナルへ
ウィスパーライトはコンパクトで軽量なデザインが特徴である一方、使用できる燃料がホワイトガソリンのみであるため、その使用は燃料の入手が可能な国に限られてしまいましたが、ウィスパーライトインターナショナルがこの問題を解決しました。
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セルフクリーニングストーブ
シェイカージェットテクノロジーは、現在全てのMSR製の液体燃料ストーブに採用されています。
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1989年
ラピッドファイヤーキャニスターストーブ
1989年、ブタンガスのみを使用するストーブ、ラピッドファイヤーが発表されました。このストーブはガス燃料の扱いやすさと耐久性の高さが特徴でした。また他のガスストーブとは異なり、風の影響を受けるコンディションでも問題なく作動しました。
※ラピッドファイヤーは日本未発売です。
1990年
最初のドロメダリーバッグ
水源から遠く離れた場所でキャンプをしたことが一度でもあるならば、ドロメダリーバッグの便利さが理解できるでしょう。
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ウォーターワークス
MSRはバックカントリーを楽しむ人々がより簡単に飲料水を確保できるよう、ウォーターワークスを開発しました。
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南西尾根からの登攀
1990年、ビル・クロウスとアラン・カーニーは、アマダブラム(約6,812m)の1,500m続く南西尾根(VI 5.9)からの登攀に挑戦する際に、信頼していたMSRのピケット、ストーブ、ウォーターワークスフィルターを使いました。
MSRのホワイトガソリン
世界中どこでもホワイトガソリンを購入することはできますが、必ずしもその品質が同じであるとは限りません。1990年、MSRはキャンプ時の使用を目的としたストーブに特化した高スペックなMSRホワイトガソリンの販売を開始しました。
ベルクロ兄弟の自転車遠征
1990年代初頭には、ベルクロ兄弟の名で知られているスティーブ・ベレマーとピエール・ボウチャードが、自転車による世界一周に成功しました。MSRは赤道一周を上回る49,879kmの全行程でギアのサポートをしました。
1991年
カラビナ試験用施設
MSRは先進的なカラビナ試験場と製造施設の使用を開始しました。
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ファントムウォール
ジェイ・スミスとポール・ティアは2度の失敗を経験した後、ハンティントン山(3,730m)の北面の、彼らがファントムウォール(VI、5.10、A1、M5)と呼んだ、煙突状の1,829mのルートからの初登攀に成功しました。携帯したMSRのストーブは雪を溶かしその機能を発揮しました。
1992年
カラビナの全数試験
MSRは自社のカラビナ製造施設で、カラビナの強度と品質を5段階に分け全数検査することを開始しました。
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ビル・クロウスによるアンナプルナ遠征
1992年、米国アンナプルナ遠征隊の一員であったビル・クロウスは遠征時の携帯品にMSRのストーブとピケットを選択しました。この遠征は酸素補給やシェルパによるサポートなしの第一峰8,091mへの挑戦でしたが、コンディションの悪さにより成功には至りませんでした。
ウィスパーライトインターナショナルの改良
当時のウィスパーライトインターナショナルはホワイトガソリンと灯油のみ使用できましたが、使用時に出るカーボンで詰まることが問題でした。
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1993年
スミスとアンカーの遠征
ジェイ・スミスとコンラッド・アンカーは、1993年に南極大陸のクラドック山(4,368m)及びヴィンソン山(4,892m)に再挑戦する際、MSRのストーブを携帯しました。
I-ビームカラビナ
1993年、MSRは自社のカラビナ研究開発施設で握りやすいI-ビームフレームを持つカラビナを開発しました。
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1995年
販売数100万台を達成
1995年、MSRストーブの販売台数はラリー・ペンバシーがMSRを始めた頃には想像したことすらなかった100万台に達しました。
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トランゴタワーの60日間
トッド・スキナー、マイク・リリーグレン、ジェフ・べクテル、ボビー・モデルから成るオールスターチームは、1995年パキスタンのトランゴタワー(6,286m)に60日間滞在しました。
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1996年
セラミックフィルター
1996年にはマラソンセラミックエレメントを採用したウォーターワークスⅡとミニワークスマイクロフィルターの2モデルの浄水器を発売しました。
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ハンディーストーブベース
それまで市場には信頼できるストーブベースが存在せず、フリスビーをひっくり返したような簡易的なストーブベースが一般的でした。そこで1990年半ば、MSRは腐食防止処理を施したアルミと真鍮でできたトリリウムストーブベースを発売しました。
デナリスノーシューのデビュー
著名な登山家でありギア開発者でもあるビル・フォレスト(1939-2012)は、最新の技術を使ったスノーシューこそ雪山に必要だと考えMSRのデナリスノーシューの開発に協力しました。
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1997年
アルパイン用フォールディング3点セット
MSRのアルパインフォールディング3点セットは、軽くて耐久性の高いプラスチックスプーン、スパチュラ、ストレイナーの3点セットで、持ち運びやすいように小さく折りたたむことができます。
シプトンスパイア遠征
1997年、ジャレッド・オグデンとマーク・シノットは、パキスタンにあるシプトンスパイア(5,885m)への25日間、27ピッチの遠征にMSRのストーブを携帯しました。オグデンとシノットは厳しい新ルートを開拓しながらシップオブフールズ (VII 5.11 A2 WI 6)からの登頂に成功し、全1,300mの行程を踏破しました。
1998年
ドラゴンフライ
MSRのドラゴンフライストーブは1998年に発売開始されました。
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機能と品質を兼ね備えたクックセット
1998年、MSRは洗練されたクックセットの開発に取り組み始めました。チタン製のクックセットのタイタンやアルミ製のクッキングキットのブラックライトを発売し、その後、ファスト&ライトシリーズのクックウェアを多く発売していきました。
コールオブザワイルドへの初登攀
スティーブ・ハウスとジョー・ジョセフソンは、セントイライアスにあるキングピークのコールオブザワイルド(VI WI6)の初登攀にアルパインスタイルで挑み、その際MSRの XGK™ストーブを携帯しました。
伸縮型ポール
1988年に発売されたガベルポールは、軽量アルミを使用し、伸縮式のシャフトと人間工学が取り入れられたグリップが特徴で、トラクションコントロールと安定性に優れていました。
1999年
ハンギングストーブ
1999年、MSRから超小型ストーブのスーパーフライが発売されると、ブタン燃料ストーブに革命が起こりました。
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シノットとオグデン、ロウの遠征
1999年、マーク・シノット、ジャレッド・オグデン、アレックス・ロウから成る米国オールスターチームは、MSRのギアを携帯しパラレルワールド (VII 5.11
A4)への遠征を敢行しました。これは、グレートトランゴタワーのウェストサミット(6,281m)への登攀を目的としたもので、登攀には壮大なウェストサミットを登るために開拓された2本あるルートの1本が使われました(当時、登攀するには2本のルートのどちらかを通るしかありませんでした)。
リベッキーの単独登頂
マイク・リベッキーは1999年、桁外れに突き出た600mの高さを有するスコット島のヒナヤナ (VI 5.8 A3+)を登るのに、MSRのXGK™とドラゴンフライを携帯しました。
2000年
スウィートウォーターフィルター
MSRは新しい素材、今までとは違うデザインを用いて従来よりも小型で軽量、かつ信頼できる携帯用浄水器を発表しました。
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ウォーラス
2000年、REIはテントメーカーのモス、ウォーラス、アルマジロをMSR傘下に置き、優れたテント開発のノウハウをMSRギアの強力なラインナップに取り入れました。
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キチャトナ スパイア遠征
2000年6月、ジェイ・スミスとネイサン・マーティンはアラスカのキチャトナ スパイアで、カプセルスタイルによる往復52時間をかけた、アズグッドアズイットゲッツ(VI 5.11c A3+)ルートの開拓にMSRのギアを携帯しました。
2001年
クリス・ワーナーが創った歴史
MSRのギアは次世代の登山家達を奮起させ、アメリカの登山における歴史を創ったワーナーの挑戦を成功に導く一助となりました。
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カスケードデザインへの売却
1981年にラリー・ペンバシーからMSRを買収したアウトドア小売業の大手REIは、その所有権を2001年8月にカスケードデザイン社に売却しました。シアトルを拠点としていたMSR同様、設立当初からシアトルに拠点を置いているカスケードデザイン社は、高品質で革新的なギアを世に送り出してきた歴史や山をこよなく愛する社風などMSRと重なる部分が多く、その選択はとても自然なものでした。
ポケットロケットストーブ
ポケットロケットは2001年に発売が開始され、現在もなお生産され続けているストーブです。
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MSRテントの再出発
2001年、MSRはモス、ウォーラス、アルマジロのテントメーカーで培った技術をもとに、MSRテントを開発しました。
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フォックスジョーシルク
マイク・リベッキーは2001年、グリーンランド東部フォックスジョーシルクの約549m、11ピッチのティアーズインパラダイス 、およびインサイザーのルートを開拓した遠征にMSRのギアを携帯しました。
2002年
フォレイカー山のインフィニット稜
1977年にマイケル・ケネディーとジョージ ・ロウが6日間をかけて達成したフォレイカー山のインフィニット稜(VI 5.9, M5, AI 4)は、長い間アラスカで最も困難なルートとされていました。しかし2002年、スティーブ・ハウスとローランド・ガリボッティは、アルパインスタイルで約5,304mに挑戦し25時間で踏破に成功しました。その時に携帯していたのがMSRのXGK™ストーブでした。
MIOX 浄水器
MSRはアメリカ陸軍と協力し、2000年代初めにMIOX(混合オキシダント)水質浄化システムを開発しました。
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2003年
シマーライトストーブ
2003年、MSRはホワイトガソリン専用のシマーライトを開発しました。このストーブはサマーシーズンの登山者やバックパッカーから求められていた耐久性、軽量性に対応したストーブでした。
遠征時にも使えるフィルター
遠征中は何度も水を浄水するので、浄水器には大きな負担がかかります。これに対処するため、MSRのエンジニアチームは最新式のエアスプリングアキュムレーターを開発しました。
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2004年
南極における功績
2004年、MSRが共同スポンサーとなった南極クイーンモードランドへの遠征で、マイク・リベッキーとジョン・ヘリングは、フェンリス西側からのルートにヘリング-リベッキールート (VI 5.10 A4)を構築しました。
登山者用スノーシュー
登山家でもあり伝説的なギア開発者のビル・フォレストとMSRは、登山に適したスノーシューを共同開発しました。
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ハバテントの登場
MSRから軽量、ワンポール式のバックパッキング用テント、ハバシリーズが登場したのは2004年のことでした。
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2005年
セベランスリッジの初登頂
2005年、MSRが長年スポンサーを務めていたサミュエル・ジョンソン、ジェレミー・フライマー、ジョナサン・クリアウォーターが、パキスタン辺境のバルトロ氷河の遠征で、ライマンスピッツァーカッティングエッジ賞を受賞しました。チームはトランゴII(約6,327m)のセベランスリッジからの初登頂を、5日間のアルパインスタイルで挑戦し成功させました。
コンパクトなXGK™ EXストーブ
MSRのエンジニアチームは世界中で圧倒的な支持を得ていた遠征用ストーブ、モデル9DFのDNAをそのまま受け継いだ製品を開発しました。
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極限の登山
ナンガ・パルバット(8,126m)は「人喰い山」として恐れられ、そのルパール壁中央側稜(約3,810m)は、挑戦する者に畏怖の念を抱かせる壁として知られていました。伝説となった、ラインホルト・メスナー とギュンター兄弟が最初にこの壁の登頂に成功したのは1970年のことでした。しかし、下山途中でギュンターが命を落とすという悲劇にみまわれました。2004年には、スティーブ・ハウスとブルース・ミレーがルパール壁中央側稜の登頂に挑み、セントラルピラーに新しいルートを確立する寸前、頂上まであと610mを残した7,498m地点で、ひどい高山病のために下山を余儀なくされました。2005年、ハウスはヴィンス・アンダーソンとアルパインスタイルでセントラルピラーに再挑戦し、アンダーソン-ハウスルート (13,450 feet, M5 X, 5.9, WI4)の確立に成功しました。登攀に4日、下山に2日かかり、登山史における最も過酷な登攀として記憶されることになったこの挑戦に、MSRのWindPro™が使われました。
※WindPro™は日本未発売です。
2006年
ファスト&ライトフィルター
MSRはそれまで浄水器が抱えていた大きさと重さの問題を、中空糸膜を使用したハイパーフローマイクロフィルターを開発することで解決しました。
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風洞実験
MSRでは開発したテントに対して厳しい風洞テストを行い、強風対策をしています。
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2007年
リアクターストーブシステム
MSRのリアクターストーブシステムは、最高水準のエンジニアリングによって、世界最速で最も効率的なストーブとして登場しました。
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2009年
テントの室内容積
MSRはテントの室内容積を表示する北米初のテントメーカーとなりました。
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スノーシューの角度調整機能システム
MSRは角度調整機能システムを搭載した革新的なスノーシューを発表しました。
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2011年
カーボンファイバーテント
カーボンファイバーによる革命が起きると、MSRは2人用の超軽量テント、カーボンリフレックス2を発表しました。
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2012年
確実なポール
MSRのシュアロックシステムには、各節を突起ボタンで固定するポジティブロッキングのプッシュボタン構造が採用されました。
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ウィスパーライトがユニバーサルに
MSRのエンジニアチームでは、ひとつですべてをこなすことができるようなストーブの開発に取り組んでいました。その中でチームは主力製品であり、世界で最も信用されているストーブのウィスパーライトインターナショナルに着目し、液体燃料とブタンキャニスターの両方を使用できるようにしました。
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2015年
The Dawn Wall
2015年の冬に、トミーコールドウェルとパートナーのケビンジョルジソンは、史上最も困難なロッククライミングを成功裏に完了しました。MSRのReactor Stove Systemは、チームが次々とピッチを完成させ、世界を驚かせるのに重要な役割を果たしました。 19日間の長い日を経て、ヨセミテバレーの最も壮大なラインであるエルキャピタンのThr Dawn Wallを初めてフリークライミングしました。
2018年
ローツェクーロワールの最初の降下
2018年これまでスキーヤーを拒み続けていたローツェクーロワールの滑降に成功しました。
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2022年
時代を超えた白瀬ルートによる南極点への挑戦
2021年の11月から1月にかけて極地冒険家阿部雅龍による南極点への無補給徒歩での冒険が行われた。同じく秋田出身の冒険家白瀬矗が100年以上前に行った未完の冒険を完成させるため、同氏が計画していた通称白瀬ルートによる前人未到の挑戦となった。